コロナ明け
コロナウイルス感染
二日間ほど高熱と頭痛に襲われ酷い目にあった
7日間の自宅療養を経て半月程経ち、2023年2月13日
諸症状は改善されて体力も戻ってきた感覚がある
ただ
精神の不安定さが目立つ
昔からか
はたまた人付き合いが原因か
「宝物を無くすと嫌だから持ちたくない」
生活していて
自分の中に当たり前に備わっている感情を言葉にできた時に、嬉しくなる体験皆さんにもありますよね
僕はこの気持ちを言葉にできて少しだけ嬉しかったです
最近強く思ったんです
無くすくらいなら最初から持ちたくないって
ちなみに僕の宝物には人も含まれます
他人に向ける、愛だの優しさだの暖かさだの
その力が発揮する瞬間は割と点に近いのかもしれない
長期的な愛や優しさ暖かさは、自分と相手を救っているようで双方を深い溝に陥れているのではないかと思った
当たり前だけど、永遠なんて存在しないから
だからより瞬間的に
インパクト重視の優しさ暖かさを持って人と接するのがいいのかもしれない
自分の見つけて大事にしてきた芯が
ひさしぶりにぶれた気がして困惑している
嫌いだ嫌い
大きな愛や優しさに触れつづける人生と
平凡な日常の中の瞬間的な愛や優しさに触れる人生
前者を生きてきたつもりだけど
後者の方がいいのかな
望むにはあまりにもリスクの高い領域なのかな
年始コロナ
2023年1月24日23:57
結局年に一回くらいの頻度でしか更新していないブログ。ブログというかメモ
大学4年間はあっという間に過ぎて、その後1年間の大宮生活、そして三重での生活を1年間
そして
やっと
やっと
やっと東京に来れた
長かったな
2022年の夏に上京した
出会いはどうだろう
上京して半年弱
何か変わっただろうか
少しだけど変わったな。けどその少しの火種を大切に絶やさずに灯し続けるんだ。2023年はそこを基地にして出て会おう
目標はあるかな
全曲僕が作ったアルバムを早く出して、それを歌えたら幸せかもな。自分のために作る。自分のために歌う。あたたかくて、やさしくて、愛のある、柔らかな歌を届けよう
p.s.コロナになりました。溜息溜息😮💨
2022年1月11日
2020
2019は猪年
干支にちなんで猪になったつもりで一年駆け走ると宣言した
2020は鼠年
頭を使って賢く素早く動く
環境や取り巻く人達が変わるので
想像をすると怖い事ばかりである
学生という身分が失われ社会に放り投げられる事は現段階では全く想像のつかない事だ
今このブログは三重から仙台に帰省して書いている
年末年始、普段合わない人達と沢山会う
数は多くないが連日友人と会っていると
人の暖かさ冷たさを感じる瞬間が増える
友人達との時間は
楽しいと思うより
疲れたと思う気持ちが大きくて
帰省中ではあるが
会う約束も守れないような人間になってしまった
「無理してまで会う必要は無い」
行かないと言っても何も言及されないので特に心配もされていなければ必要ともされていないのだろう
好きだった恋人でも友達でも
その瞬間の話なだけであって
その先もずっと好きだなんて保証も確証もどこにもない
人は良くも悪くも環境で大きく変わってしまう
好きだった人が好きじゃない人に変わる瞬間は
とてつもなく心が苦しくなる
これまでの過去までも否定してしまいそうになる
人は怖い
信じたい気持ちも好きな気持ちも
持ってしまったが最後
自分にも責任があるなとも思った
人が好きなのに
人が怖い
傷つきたくないし
誰も傷つけたくない
男性でも女性でも
好きな人ができて
その
好きな人達と2020は一緒に居れますように
良き出会いがありますように
人
7/26 3:16
自分にとっての好きな人は
誰かにとってはとても嫌いな人であったりする
自分の好きな友達が、自分の嫌いな友達と普通に話していたりする
その瞬間不安になる
けどそれは無駄だなと思った
音楽に興味のない者に音楽の話はしないように
君は人を選んでるんだね?て言われたら
冷酷かもしれないが、自分は人を選んでるし人は人を選んでると思った
だから自分にとって好きな人が、自分にとって嫌いな人と仲が良くても何もおかしくはない
あくまでその人にとってのその人であり
自分にとってのその人とはまた違うんだろう
ここで自分が大事だと思う事
大切にしなければならない事は
''人を選んで良いが人を傷つけてはいけない''
という事
あからさまな対応の差は時に人を傷つける可能性があるしね
人との向き合い方についての悩み
久しぶりに自分の考えが見つかった気がする
自分1人では到底見つからなかった
見つかると思ってた答え
友人のおかげで見つかった
いつも誰かに支えられてるんだな俺は
服は福を呼ぶ
毎度寝ようとする前にブログを書く癖をやめたい。2:25。
完結に。
今日は、癖があるが好きな友達に助けられました。女性です。
彼女とは大切にしてるものが似てると思うのです。好きな人の大切なものは自分自身大切にしてるものと同じでありがちだと思ってます。
最近やたら周囲の人に褒められるのですが褒められて育った経験がないので慣れてません。
褒められた時の感情の行方をどうしたら良いか悩んでたので彼女に聞くと、素直に喜んでさらにそれを伸ばそうとすればいいと単純な答えが返ってきました。
①褒められたら素直に褒められたことを喜ぶ②それからまた頑張るぞという意気込みに持っていく③そしてさらに強みを伸ばす
単純な3ステップを簡単にできるように明日からは心がけてみようと思います。不器用な自分です。空回りして誤解されないといいな。。
そういやですます調を辞めたとか言ってたけど自然に使ってますね。自然に使いますもう。カッコつけない。自然体でいよう。
笑み
6.20
ここ数日はバイト後に直接友人の家に行き夜まで語り合っては自宅に帰りまたバイトに行きまた友人の家に戻る生活をしてる。
今日はバイト終わりに大好きなスタッフとたわいもないお話をして帰った。笑顔に満ち溢れている。単純だ。
友人とは数ヶ月後共に夢を追うためにシェアハウスをする友人だ。
彼との生活の中で、何もしてない1日でも「一緒に居た時間」としての価値がある気がして、その日の充実度を測ることが難しいと感じた。
あくまでも自分は自分。一人間として仮に他人と共に生活しようとも生活に対する責任は常に持っておかなければならないと思った。
今回のように日常から外れた事をするのは発見のチャンスである。アンテナをたたむ時アンテナを張り巡らせる時を上手くコントロールし「考える」「感じる」をノンストレスの状態にしたい。
新しい事を発見するためには力がいる。できるだけ負荷がかからないようにしたい。